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Weekly Magnets vol.013
私たちマグネッツが扱っている古着を皆様にもっと興味を持っていただき、古着のすばらしさを
お伝えできればと思い、その歴史やディティールのことについて紹介していきたいと思います。
New Era
先週とうとう休んじゃいました。ネタが無かったわけではないのですが上手くまとまらなかった
と言うかなんと言うか...まぁ、休刊日ってことで。大目に見てやってください。
話は変わりますが、やっと夏っぽくなってきましたね!とか言ってたらもうお盆。
海にはクラゲがプカプカ現れる時期です。「まだ今年海行ってねーよ!」と皆さんに言っても
しかたがなく、今年の夏も徐々にフェードアウト。女の子の露出の多いファッションも
ぼちぼち見納めか...ってどうするんだネタ!? お盆休み?
2週連続お休みはマズいですよね。「楽しみにしていてくれてる人がいる!」と
勝手な使命感に燃えつつ、繰り出す第13弾!今の時期に...あっありました!
ネタ!そう、帽子!! 担当の美容師さんに「帽子被ったらダメ!」と釘を刺されているくらい
ハゲまっしぐら(上から)の僕。でも懲りずに被っております。でも今って普通に帽子いりますよね?
街には「NYヤンキース」のキャップを被った人たちがそこかしこに。一体ここはどこなんだ?って
感じですが、B-BOYの三種の神器の一つ(あと2つは知らない)「New Era」社のB・Bキャップ。
マグネッツではそんな石を投げたら当たるくらいに街に溢れている「New Era」の40年代物(古い!)
ヴィンテージかつデッドストックのキャップを扱っております。¥2980-(安い!)なのですが
ヴィンテージブックにも掲載されているくらい、今となっては貴重な一品なんです!
というわけで今回の特集は「King of Cap」ブランド、「New Era」です!(前ふり長すぎでしょうか?)
ベースボールキャップ
ベースボールキャップは永遠に不滅(って長嶋さんではないですが)といってもいいほど
この野球用の帽子の基本形はおよそ100年もの間、変わらない。
スカルキャップと呼ばれるスカル(頭部)をピッタリと包み込む山の部分と、ダックビルと呼ばれる
アヒルのくちばしのような形状のひさしとが連結したスタイルは、至ってシンプルそのもの。
シンプルとは余計なものや無駄なものを徹底的に刈り込んだ果てに残された究極のエスプリ。
もうこれ以上、引くものがなければ足すものもないというあるべきものの最終形、理想の姿。
これこそ本当の意味でのクラシック、伝説的な選手のベーブ・ルースやタイ・カップが被っていた
スタイルと同じものを現在のプロもアマチュアも愛用しているのだ。
時代やファッションの変化によって、まるで一転してしまうスタイルのアクティブ・ウェアの中での
たったひとつの不滅のクラシックとなるのがベースボールキャップの最高の魅力になる。
90年の歴史の間で唯一で目立つ変化は、戦前のものよりも戦後のベースボールキャップの
前びさしが長くなったと言われたりするこのクラシックなキャップも、当然のことに現在のような
基本の形に落ち着くまでには、相当な混乱があったのだ。アメリカのベースボール史上で
初めて1851年にユニフォームを採用したクラブとして記録されているのは
「ニューヨーク・ニッカーボッカー・ベースボール・クラブ」だが、当時の帽子、麦わら帽は
南北戦争(1861~1865)終了まで続いたとされる点に注目したい。というのも、
その麦わら帽に代わって試合用に登場する新しいスタイルの野球帽が、南軍または
北軍の戦闘用の帽子かまたはこの軍帽を軽快にしたようなデザインの帽子だったからである。
麦わら帽から軍隊用の帽子への変化は、そのまま野球というスポーツがそれだけ闘争的に
なったことを示すわけだが、それから40年間に渡ってアメリカのプロ・チームがそれぞれに
チーム・カラーをより鮮明にするために、様々なデザインの工夫を繰り返していったことも
見逃せない。シカゴ・ホワイトストッキングスは山のてっぺんが扁平になったフラット・トップの
キャップを考案し、ボストン・レッドストッキングスは山が丸くなったラウンド・トップのキャップを
作り出した。中には選手それぞれに違った色のコードを巻いた帽子を被せて、球場での個々の
選手の識別を容易にしようとしたチームもあった。それはとても楽しいベースボールキャップの自由化
時代となったかもしれないが、20世紀に入るとレッドストッキングス型のラウンド・トップが徐々に
一般化し、どのチームも現在のようなスタイルを採用するようになっていった。
ベースボールキャップのスタイルは、デザイン的にみてもほぼ完成されつくしたものと言えるだろう。
前びさしが顔全体に影をつくって眩しい光線を遮るし、頭部に密着したスカルキャップが
外部からの衝撃から頭を保護するだけでなく、頭を小さく見せる効果が非常に大きいのだ。
このキャップ部は6枚ハギのひとつずつに通気用の鳩目穴をあけ、前びさしは幅が7インチ半で
奥行きが3インチ、というのが現在までのアメリカのプロ・リーグ連盟の公式キャップの規定である。
ニューエラ社の歴史
| 1902 | 創設者エルハルド・コックは16歳より帽子メーカー「ミラー・ブラザーズ・キャップ社」で働き始める。 18年間勤める間に彼は生地についての様々な知識を習得し、やがて裁断部のマネージャーとなる。 しかしそれから数年後、ミラー社での自身の将来に見切りをつけたエルハルドは、自ら帽子メーカーを 設立する決心をする。 |
| 1920 | 34歳のエルハルドは会社設立の金策に奔走していた。集めた資金の一部は子供たちに仕事を 与えるという約束で叔母を説得し、その家を担保に入れた分だった。最終的に5000ドルの資金を 調達することができ、14人の従業員とともに自身のアメリカ生活の出発地でもあるバッファロー市の ジェネシー通りにニューエラキャップ社を設立する。 |
| 1925 | ニューエラキャップ社は当時流行していた8枚はぎのスタイルを取り入れ、「アイビー・リーグ」や 「ギャッツビー」として知られるようになるファッション帽を武器に、男性用の帽子市場に参入する。 「ギャッツビー」は上質のウール素材を100%使用し、男性のスーツファッションにマッチすることから、 おしゃれな男性のファッションの仕上げとして人気を博し、バッファロー市の一流紳士服店で取り扱われ 1ダース3.98ドルで販売された。 企業として成功するための信条のひとつとして、経営に家族が参画することを掲げていたエルハルドは、 17歳になった一人息子のハロルド・コックをニューエラキャップ社に入社させる。 |
| 1930 | エルハルドはエルハルドは、ハロルドに帽子ビジネスを本当に理解させるには、現場を経験することが 一番だと考えていた。エルハルドは息子にニューエラキャップ社のビジネスについて徹底的に教え込み、 折に触れ、「上質な製品を提供することが顧客を満足させ、それが顧客をつなぎとめる方法である」 という彼の信念を叩き込んでいった。 1930年代に入って「ギャッツビー」の流行が衰えはじめると、ニューエラキャップ社は岐路に立たされる ことになる。やがて、エルハルドはアメリカで大人気の娯楽である野球に着目し、「ベースボールキャップ なら絶対に廃れることはないだろう」と信じて、ベースボールキャップの製造を始めた。 1930年から1940年代にかけて、ニューエラキャップ社は、「ウィルソン」や「スポルディング」のような スポーツ用品とユニフォームを供給する個人ブランドとして、ベースボールキャップを製造したのである。 |
| 1940 | 1940年代に入り、エルハルドは自社ブランドで直接メジャーリーグやマイナーリーグにキャップを販売する ことを決意する。間もなく、息子のハロルドも高校や大学向けにニューエラキャップ・ブランドのキャップの 売り込みを開始した。「ヤンキースで使われるほどのキャップなんですから、おたくの学校の選手にも ぴったりなはずですよ」というのが彼の売り文句だった。 ハロルドは前の週に受注した商品の材料を入手するために、はるばるニューヨークシティの衣料品が集まる 地区まで車を走らせた。さまざまなカラーのキャップを作るためにオフホワイトのウールを購入し、それを ハロルドの妻、マリオン・コックが自宅の手回し式の洗濯機で染めていった。こうしてニューエラキャップ社は 真っ赤や黄緑といった、これまでにないカラーのキャップを世に送り出していったのだ。 当初ニューエラキャップ社は、中古のミシンで一週間に約2500個のキャップを作っていた。 長年の間に製造技術は進歩していったが、社のこだわりである22の工程が変わることはなかった。 |
| 1954 | エルハルド・コックは68歳でその生涯を終えた。しかしエルハルドの情熱と誠実さはハロルドをはじめとする コック家三代に受け継がれていった。野球界、そしてニューエラキャップ社で長年働いてきた数千名の従業 員たちは、先見の明を持った創設者エルハルド・コックに多大な恩恵を受けてきたといっても過言ではない。 ニューエラキャップ社を継いだ2代目のハロルド・コックも、父親と同様に先を見据える力を持っており、 時代を先取りする存在だった。彼の創造的な洞察力によって、キャップの製造は飛躍的に変化を遂げた。 彼は作業の効率にこだわり、出来高払いの賃金制度を導入した。品質の良い製品を作れば、それだけ 良い賃金がもらえるということで、従業員たちの意識も向上していったのだ。発明家でもあるハロルドは、 現在では「プロ」や「トップ・ステッチ」として知られる「ノー・ロール・ステッチ」製法を開発、市場に売り出す。 また、それまでは革製だった汗止めバンド部分を改良し、綿布を使用した「コットン・スウェット・バンド」を 開発、今や業界の標準になるほどの発明を世に送り出した。ハロルドは自身が生み出した「コットン・ スウェット・バンド」をキャップに取り付ける際、その生地が前に少しだけ垂れ下がるように縫いこんだ。 さらに彼は、汗止めバンドの下を覆うように薄い透明なプラスチックを入れ、汗が生地に染み込んで帽子の 表面に浮き出るのを防ぐ方法を考え出した。ハロルドがニューエラキャップの商品に取り入れた多くはちょっと した工夫だったが、彼のアイディアによって、ニューエラキャップ社は常に業界をリードする存在となったので ある。またこの年、ニューエラキャップ社はその後の帽子業界に大きな影響を与えるキャップを開発した。 それが「59FIFTY」である。「BROOKLYNスタイル」としても知られる「59FIFTY」は、メジャーリーグ用 キャップとして開発され、社の信頼性と品質、忠誠、独自性の象徴でもあった。「Fitted」の愛称をもつ 「59FIFTY」は、ベースボールキャップの標準となっていった。上質な100%ウーステッド・ウールで丁寧に仕上 げたこれまでにないキャップを、チームやプレーヤーに提供したいというハロルドの思いが形になったのだ。 |
| 1960 | 1960年代初頭、ニューエラキャップ社は2番目となる製造工場をニューヨークのダービーに置いた。 ここは「59FIFTY」専用の工場となり、一方でバッファローの工場ではアジャスタブルタイプの製品を始めた。 決められた仕様の製品だけを作る態勢にすることによって従業員の作業効率は格段に上がり、キャップ作り の技術と品質もより向上していった。 プラスチックのストラップが出現したときには、サイズ調整の可能なアジャスタブル・キャップが業界を席巻 すると見られたが、それでもニューエラキャップ社はサイズ別の「59FIFTY」を作り続けた。ワンサイズの アジャスタブル・キャップでは、全てのサイズに快適にフィットするものではないことを熟知していたからだ。 |
| 1972 | ハロルドの一人息子であるデイヴィッドが、約20年の在職を経て社長に就任、CEOの地位に就いた。 そして同年、デイヴィッドの妻のバレリー・コックが秘書と財務の仕事を担当することになった。やがて彼女は マーケティング部門やデザイン部門でも働き、カタログコピーを書いたり、ロゴのデザインや刺繍の管理も 手がけるようになった。バレリーはニューエラキャップ社に不可欠なメンバーとして30年以上活躍している。 |
| 1982 | ハロルド・コックが他界。その後、デイヴィッドの単独経営のもとでニューエラキャップ社は事業の拡張を始め 帽子業界のトップリーダー的な存在となっていった。デイヴィッドの目標は、全メジャー、全マイナーリーグの チームに毎年商品を納め、スポーツ業界でニューエラキャップ社の名を不動のものにすることだった。 また80年代になると、ベースボールファンたちはひいきのチームのキャップを自分たちもかぶることに興味を 持ち始めた。そのキャップが「59FIFTY」だ。流行に火がつき、ニューエラキャップ社を大きく成長させる巨大な ビジネスとなった。「59FIFTY」は瞬く間にアメリカのスポーツファンの間で大人気のキャップになったのだ。 |
| 1991 | ニューエラキャップ社は球場で着用されるキャップの共同専売権を獲得した。同年、メジャーリーグと共同で 全ての「オーセンティック・コレクション」(以前は「ダイアモンド・コレクション」と呼ばれていた)の キャップの後ろ側に、メジャーリーグのロゴであるバッターのシルエットを入れた。 |
| 1992 | 創設者エルハルド・コックのひ孫であるクリストファーが社長に就任し、デイビットはCEOの地位に就く。 |
| 1994 | ニューエラキャップ社は「オーセンティック・コレクション」の国際的な製造元、販売元、そしてマーケティングを 担当することになった。それ以来、「オーセンティック・コレクション」におけるニューエラキャップ社とメジャーリーグ との専売契約は継続され、両者はこのパートナーシップの成果を享受している。 |
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| BROOKLYN STYLE | 丈夫なヒサシ | コットン・スウェット・バンド |
| 頭の形にそって丸くなり、空気孔が 6枚ハギのそれぞれに施されている 通称「ブルックリン・スタイル」 19世紀末に誕生して以来、 変わらないデザイン。キャップの上に つくポッチはハギ合わせのため。 |
ヒサシ部分は常にピンと張って いなければならない。そのために 表地と裏地の間には芯を入れ、 さらにその上から頑丈に等間隔で 何重にも縫われている。これが 由緒正しきボールキャップである。 |
それまでは革製だった汗止めを 綿布にすることにより、より汗を吸い さらにその裏側に薄い透明のプラス チックを入れ、汗が生地に染み込ん で帽子の表面に浮き出るのを防ぐ 工夫がなされている。 |
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